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優雅ラスト
(263)ギマランエス博物館の収蔵品はかなりレベルが高い。
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2008/05/12 20:02 |
シントラの王宮がここに
(262)
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2008/05/10 20:13 |
キンタのなかは優雅
(261)カストロ・ギマラエンス伯爵が19世紀に建てた館が、孔雀が舞う鬱蒼とした森林に覆い囲まれながら、いわゆるキンタ(荘園)の味わいをそのまま漂わせて博物館となっている。新宿御苑ほどのいまは公園が、大西洋を見晴るかして、そのホンの一角に外見地味に館がある。
カスカイスは、当地長逗留の前に2カ月滞在した地でもあり、何もかも見知っていたつもりが、こんな麗しさを見逃していた。
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2008/05/10 00:49 |
生活アズレージョその2
(260)この宮殿は昼食やパーティなどを受け入れる。こちらの宮殿はみんなそうした体制になっているようで、もちろん「遺産」の維持費を稼ぐためにも開放されている。一般開放型、国家的なパーティ解放型など色々なのだろうが、かび臭くなるよりどんどん上手に利用することはいいことだ。
さて生活アズレージョの行き着く先は「憩い」であろう。
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2008/05/06 17:02 |
生活を描くアズレージョその1
(259)フロンタイラ宮殿のアズレージョは、カルダス・ダ・ライーニャの陶芸博物館・リスボンのアズレージョ博物館と並ぶ、(私なりの)3大アズレージョ展示館だ。
フロンタイラの見学は専門の「研究員」が付き添い、いくつかの言葉で約1時間かけて案内してくれる。最後に大きなテラスから自慢の庭を見下ろして解散となるが、この庭の四方に貼り巡らされたアズレージョが実にいいのである。色んなテーマがあるが、「生活」を描いた一角を今回つぶさに覗き込んだ。大げさ表現ではなく、何しろ足元から立ち上がったり、ベンチの背当
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2008/05/05 17:31 |
しろ孔雀と尼僧院
(258)42歳のことだったろうか、女房と二人の娘が「何故ポルトガルに行くの?このまましばらくギリシャで遊んで帰ったら」と口をそろえて、上目遣いに不信を鳴らした。しかもそれはアテネからリスボンに向かう機内でだ、出発前にファドへの思い入れをあれほど説明したはずなのに・・・・・・・・。
ともかく初めてポルトガルに着いたのは、ヨーロッパの片田舎に降り立つのだから今も変わらないが、真夜中だった。出迎えもない、ギリシャの友達が予約したホテル名を書いた紙切れ頼りに、吹っ飛ばすタクシーで30分。真っ暗闇の道
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2008/05/03 17:21 |
ひと房のジャガランダー
(257)うちの近く、5階建てのアパート群にジャガランダーの並木がある。昨年11月頃「長生きも過ぎるんじゃ」、「ここのジャガランダーはしつこいよ」などと悪口を言い合ったら、聞いていたらしい、今年はうんと遅咲きのようだ。
4年前メキシコの道端で種を拾って日本に帰り、大きめの鉢に埋め込んだら、あっという間に芽を出し、茎が伸びだした。強い植物だ。冴え冴えとした月光をも押し包むような闇に、むっくりと濃い緑葉が茂り、まるで根元を着飾ったような紫の落花の艶やかさが今もまぶたに焼き付いている。
ポルトガル
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2008/05/02 17:27 |
シャモム、ゲーゼ
(256)「僕の名はゲーゼです」なんていい加減に私に名づけられた子犬、不幸を絵にかいたような、とは必ずしも言えない。
名前ゲーゼは「ポルトガルの」とか「ポルトガル人」の末尾で、初めて聞く日本人には少し耳障りだが、何度も聞いているといかにもポルトガルらしく聞こえてくる。で生粋リスボン子犬はゲーゼである。
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2008/05/01 18:31 |
カルダス「子ども遊び」の続編
(255)どんな友人が来ても、カルダス・ダ・ライーニャには引っ張っていく、そしてボルダロの陶芸工房・展示即売場と陶芸博物館を案内する。さらにそのメインスポットの前に、朝市でこのオヤジに挨拶する。
3年ほど前、枝つき干し葡萄を見つけて買ったのが縁で、来るたびに1キロ買う。「これ」と指した指が葡萄につきそうになったら、邪険に私の指を払いながらビニール小袋をはめた手で厳かにひと房筒つまみ出した。これまでのガサツな手で無造作に秤に置いてたのとは違う。どうやらこの屋台の売れ筋貴重品として格上げされたらし
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2008/04/30 17:19 |
路地から劇場跡
(254)「うかつにビルなんか新築したくないんだ、掘って遺跡にでもぶつかったら、そりゃ悲劇だ」とは、ギリシャでよく聞いたが、リスボンもご同様。日本でも時々あるが、ヨーロッパの都市ではどこもここも古代ローマから3000年の上に乗っかっているからうかつにはさわりたくない。
が、ここでも出てしまったのだろう。
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2008/04/28 15:18 |
衣装博物館2/2
(253)もちろんロイヤルファミリーの衣装史だけだと、アジアのどこやらの大統領夫人のコレクションと変わらなくなってしまう。衣類を通した世界文化博物館となっているところが、ひと味違う。アフリカ沖合いのポルトガル領マデイラ島の伝統衣装、南国ながら厳しい風を避けるこんな服があるんだ。
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2008/04/26 16:09 |
衣装博物館1/2
(252)演劇博物館と僅か100メートルのところに、昔日の栄華の名残りとして門前の噴水と馬車寄せが広々した衣装博物館が、狭い道路沿いに並んである。やはり誰やら貴族の宮殿跡で、火災にもあわず、こちらは200年は経っているのだろうか、かなりかび臭い。しかし庭園の規模と多彩な木々と花々は奥深く鬱蒼として、その規模はかなり図抜けているようだ。宮殿の建物からぐっと急激にくだって一望する庭園と、その密生した木の先っぽ当りに、あれ?ゴルフ場がある。後で名手に聞いたら、9ホールとドライビングレンジがあるとか。
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2008/04/22 03:17 |
えんぱく−5終「女優」
(251)舞台に女優がいないと、4月1日(237)の筋肉隆々「トロカデーロdeモンテカルロ」から「女優がケンを競ってくれるから、アたしたちが成り立つの!」とクレームが来る。
なんといってもその一はアマリア。
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2008/04/19 20:53 |
えんぱく−4
(250)演劇に欠かせないのが宣伝、当時も変わらないのが街頭用の大型ポスター。何しろ今でも、芝居・舞踊・コンサート、あらゆる劇場情報はB倍版の巨大ポスターを、建築現場の壁、高速道路インターの壁、高速高架橋の壁、鉄道駅の壁、飲み屋街の空いた壁・・・・・・、あらゆる壁に一気に5、6枚まとめて張り巡らす。
20世紀初頭から、この手法変わらないらしい。
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2008/04/18 21:39 |
えんぱく−3
(249)歴史的な公演は、永遠に人の口を通して伝えられる。それが人の演じるものか、マリオネットのものか、時には無言劇だったり、長広舌のものであるかもしれない。
1952年、舞台一杯に鶏が飛び交ったのであろう。1回限りではなかったであろうから、逃げた鶏も結構いたのではないだろうか。
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2008/04/18 04:34 |
えんぱく−2
(248)2階に上がると、現存する劇場の建築前の予想模型や今は失われた劇場を復元したミニチュアが7、8点並ぶ。ロシオ広場に構える国立劇場の代表ドナ・マリアUは模型もまた華麗だ。
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2008/04/16 20:31 |
えんぱく
(247)四年通った学校の片隅にえんぱく(演劇博物館)があり、その価値の大きさの割には、友人との落ち合い場所としても使われないほど目立たず、大半からは忘れ去られがちな存在だった。リスボン空港より少し北、地下鉄ルミアール駅から歩いて15分に国立えんぱくはある。例のごとく、野菜、ぶどうとオリーブの畑と英国式庭園に囲まれた宮殿がそっくり博物館で、1960年頃一度焼けて、85年えんぱくとして再建築された。
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2008/04/16 00:37 |
個展
(246)バイロアルトはリスボンの飲み屋街、ファド街だが、その猥雑な一角から、南にすなわちテージョ河に向かって路地2本ほど下がると科学アカデミー通りがあり、森閑とした住宅街となる。
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2008/04/14 22:01 |
大航海時代
(245)そのころ人口たった100万のポルトガルがアフリカの北端セウタを、地中海を渡って攻略した。この打たれた引き金こそ、ヨーロッパ人が世界に向かって足を踏み出した、歴史的にして現代の複雑世界相関図づくりの第1歩となった。セウタは今もなおスペイン領土として、アフリカ大陸に名残りとどめる歴史の爪あとである。
15世紀から17世紀まで、ヨーロッパはポルトガル・スペインを筆頭にイギリス・オランダさらにはロシアまで、世界覇権に血眼になった。ポルトガルはこの数世紀を大航海時代という。この時こそ、20世紀
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2008/04/13 16:45 |
守護聖人サンアントニオ
(244)守護聖人は、日本の見慣れた光景からいうと何であろうか?
あちこちに見る日蓮さんの生誕地、説教地、湧泉地等のあの像か?
政宗、信玄、元就等の国父の銅像か?
それとも大宰府の道真、薩摩の隆盛か?
・・・・・・分からないが、ともかくリスボンの守護聖人はサンアントニオという坊さんで、彼を奉ったのが彼の名を冠した教会で、大聖堂セの斜向かい、巨大・有名のま反対の極小、地元人向けで地味だ。しかし当地に生まれながらイタリアで活躍し、遂に故郷に錦を飾ったせいか、イタリア人観光客はたくさん来る。
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2008/04/12 17:49 |